令和6年の現在、なぜか20年前のアニメの感想記事を書いてます。
ガンダムSEEDは僕の中の青春のアニメというべき作品で、最近劇場版の公開でホットな気分なのでこの気持ちを言語化したいなって思って書きました。
今回改めて見直して通算100回くらい見た気がするんですが、何回見ても心に何か重しのようなものがのっかかったカタルシスを与えてくれます。
ディアッカとイザーク
https://www.gundam-seed.net/seed/story/detail.php?id=48
なんだかんだ最後共闘しているこの二人がすごいいい!!!
僕はガンダムSEEDという作品で僕はトップクラスにディアッカが好きなんですよね。ぱっと見飄々としている態度なのに今まで見下していたナチュラルに接して成り行きで所属を変える。でも結局イザークには仲間意識を抱えているディアッカ、すごいすき。
そのあとちゃっかり一緒にアークエンジェルに着艦しているカットがあるけど、この時どんな会話してたのか気になる。
イザーク「裏切ったのになぜザフトの軍服を着ているんだ」
ディアッカ「俺は裏切ったつもりはない、ここにいるやつらと戦う気にはならなかっただけだ」
イザーク「、、、ふん」
こんなこと言ってたらめちゃアツい_φ( ̄ー ̄ )
自爆しようとするアスランを止めようとするカガリ
https://www.gundam-seed.net/seed/story/detail.php?id=48
「逃げるな!!!」
「生きる方が、、、戦いだ!」
このセリフすごい好き。こんなこと言われたら自爆しようとするアスランも思い直すと思う。
なんでこのシーンがこんなにも心に刺さるのか20年越しに考えてみましたが、「生きるということに真摯に向き合ってきたことを見せつけられるから」からだと思いました。
SEED本編を通じて自分に近い人間を亡くしている経験を重ねてきていて、死んだ父や友人の思いを繋げられるのが生きている自分の役目だと強く誓っているように思えました。
勝手な解釈ですが、そんな生の気持ちを間接的に伝えられた名シーンだと思います。
クルーゼのラスボスとしての格
https://www.gundam-seed.net/seed/story/detail.php?id=48
ドラグーンで全方位から攻撃してくるどうしようもなさ、キラを追い詰める言葉、そのどれもがあまりにも敵としての風格を兼ね備えてる。
「もはや止める術などない!」
「血は焼かれ、涙と悲鳴は新たなる争いの狼煙となる!」
このセリフ、あまりにもかっこよすぎないですか、何回でも音読したくなる。
劇場版SEEDを見る時、どんな敵が現れてもクルーゼほどのインパクトは来ないと思ってたし、自分の中であまりに神格化されすぎて来なくていいと思ってました。
そして「人為的に短命にデザインされて生まれた運命を呪って世界を滅ぼそうとする」という動機そのものがSEEDの世界観を表していて、キャラクターとしてのデザインでも振る舞いからでもそのラスボスとしての格を感じます。
おわり
「終わらない明日へ」というサブタイトルが好きです。
昔やってたGジェネ(というガンダムのゲーム)のステージの名前がアニメのサブタイトルを踏襲されていたのですが、僕はそのステージの画面を見て何回も「終わらない明日へ」と音読していた記憶があります。
このアニメの最終回は少年の心を惹きつける魅力があったし、20年経って大人になった今改めて見直しても何か気持ちがあふれかえってくる力が備わってると思います。
また今度劇場版SEEDを見に映画館に行こうと思います。
ではまた。(´∀`)ノシ
本記事の画像は機動戦士ガンダムSEED公式サイトから引用しています。
https://www.gundam-seed.net/seed/
https://www.gundam-seed.net/seed/story/detail.php?id=48