聖剣伝説シリーズ最新作であるVisions of Mana。
どこのレビューを見てもストーリーについては賛否が溢れていると思います。
主に「登場人物に感情移入できない」といった内容だと思いますが、プレイ完了するまでにこのストーリーに何を思ったのか、どのように乗り越えたのか、プレイ終わった後に何を思ったのか、書こうと思います。
以下ネタバレあり。
どうしてこの世界観に感情移入しずらいのか
このゲームの世界では「各町から巫女を選出し魂を世界に捧げて世界を維持していく」という風習があります。
そしてこの生贄を出して世界を維持していくというシステムに誰も違和感を持っていない、そればかりか巫女として選ばれることは光栄なこととしての価値観が根付いています。
この価値観は21世紀の平和な世界に生きる、ひいては生命として原初の欲求である生命維持の欲求に真っ向から反していています。
プレイヤーである私は感情移入して世界に没入しようとした時に、(強い言葉を使いますが)生理的に拒否してしまいました。
では、他者のために喜んで命を差し出す物語が今までなかったのか?
例えばガンダムWという作品の主人公に「ヒイロ・ユイ」がいますが、彼は故郷のコロニーのために戦争に身を投じます。彼は任務が失敗したら自爆することをすぐ選び、故郷からその戦闘行為が疎ましがられても故郷のために戦うことをやめません。
しかしヒイロ・ユイは「感情を殺して戦うよう訓練されていた悲惨な境遇」が物語の中で語られることで、その行動原理に同情と納得ができるようになっていきます。
そして物語中盤から他のキャラクターとの繋がりを通じて人間本来の感情を徐々に取り戻していく展開があるので、視聴者はヒイロ・ユイに素直に感情移入をして盛り上がることができるのです。
しかし、本作の登場人物には我々と違う価値観を持つに至った説明は一切ありません。
皆、当たり前の様に巫女になることが素晴らしいこと、村が滅びるのを回避するために巫女を差し出すべきだと信じています。
その理由のわからなさ、得体のしれなさがプレイヤーがある種の不気味さを感じることの原因だと考えます。
私はどのようにこのゲームの価値観を乗り越えたのか
先述したように私は最初はこのゲームの漂う巫女に対する価値観に対してうまく咀嚼することができませんでした。
ですが、途中から彼らについて次の様に考えます。
この世界の住人たちは現在を生きることしか見ていないんだ
この作品は巫女である主人公たち5人が幻想的な世界を旅する過程を描いたものですが、その道中は決してマナの一つになる未来を想像した悲壮感ただようものではありませんでした。
このゲームをして特に楽しかったのは主人公たちの掛け合いの楽しさと言えるでしょう。その土地の風景を歩く中でたわいもない会話をし、そこで出会った人々と交流し思い出を作ります。
非常にマインドフルネスに今を生きている彼らを見ることで元気付けられるような気持ちにもなりました。
ヒナとの別れ
主人公の愛するヒナはオーリンの策略によって命を落とします。
オーリンはこの世界の巫女システムに対して歯向かおうとします。
それについては大変素晴らしいと思います。拍手を送りたい。
しかしそのやり方が非人道的で、ヒナの魂を使って巫女の宿命で命を落としたライザを蘇らせようとしたのです。
ヴァルは突然の別れに涙します。
正直この中盤のヒナの別れは、プレイ当時は後で復活するのかと思っていましたがそうはなりませんでした。
このゲームの結末はエピローグで老衰して亡くなったヴァルが、マナの樹に魂が帰るところでヒナと再会するといったものでした。
今まで人の死に対して我々とは違う価値観を貫いてきたこの作品が、最後の最後で非常に現実感ある結びをさせられ、非常に虚しい気持ちになりました。
ヴァルに対してこのゲームをプレイする中で一番気持ちが一致した瞬間で、ヒナを失った悲しみや心痛が伝わってきた瞬間でした。
僕はヴァルの人生をロールプレイして心を動かされました。
この一点においては間違いなく名作と言えるでしょう。
おわり
色々なことを考えさせられるストーリーでした。
間違いなくハッピーエンドではないのでこのゲームをプレイしても爽やかな気持ちにはなれない。人の生死や別れに対して真剣に描いていた作品なので、真正面から受け止めてプレイしていると俯いてしまうこともあるでしょう。
僕はこのストーリーを通じて自分の人生を前向きに生きるためのきっかけにしようと思います。
ではまた( ^∀^)
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